裁判員を考える

今日は、天神で福岡の法曹三者のトップがビラを配る珍事が。
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/news006.html
珍事ゆうたら失礼やな。
「法の日」週間の一環として、裁判員制度のPRのこと。
運良く、夕方のニュースで映像を見ることができました。


さて、裁判員制度について。
この業界では、ここんとこ注目されているトピックだと思うけど、
一般への認知はまだまだみたいだね。
特に、なんのために、法曹以外の人間を関与させるかが
あまり理解されていない気がする。
ニュースのインタビューとか見ててもやっぱりそんな感じ。
別に、法律の知識なんてなくていいんだから。
つうか、「裁判員やりたくない」が過半数ってどういうことだよ。
誰が、こんな制度作ったんだ?


俺は、基本的スタンスとしては、裁判員制度反対なんだけど、
今となっては、どうしようもないかなと思う。
そこで、裁判員制度についての雑感。
裁判員制度のうち、合議の部分については、まだ未定なんだけど、
どう考えても合議の進行は、裁判官しだい。
本来想定されている姿というのは、裁判官と裁判員が対等な立場で議論する
という形だと思うけど、
時間の制限もあるから、なかなかそうはいかないと思う。
結局、裁判官が自分たちの判断を、裁判員に納得してもらう場になる
ような気がする。
これだと、国民の意見を司法に反映させるという制度趣旨に照らして
どうなのっていう指摘はあると思うけど、
俺は、これはこれでいいと思う。
この場合、裁判官の下した結論を国民が追認することによって、
個々の判決が、国民の意思に基づくものという擬制が成り立つといえる
のではないでしょうか。
こう考えることで、裁判員制度も意義があるような気がします。
これで、判決について、「裁判官は常識がない」という批判を受けることを
回避できるでしょうしね。


まあ、控訴が増えるだろうという指摘もありますけどね。